老人で赤ちゃんという相反する生物
「私は数奇な人生のもとに生まれた」
80歳で生まれ、年をとるごとに若返っていく男を描いた『ベンジャミン・バトン数奇な人生』は、この独白で幕を開ける。原作はF・スコット・フィッツジェラルドが1920年代に書いた短編小説。1918年のニューオーリンズに誕生し、大海原を渡り、真珠湾攻撃の戦火を潜り、再び故郷の地を踏むまで――ベンジャミンの歩む人生は実に奇妙だが、同時にまた誰しもが経験する出来事で彩られている。監督はデビッド・フィンチャー(『ゾディアック』、『ファイト・クラブ』)。時の流れの中ですれ違う運命の、魂で結ばれた恋人ベンジャミンとデイジーを演じるのは、ブラッド・ピットにケイト・ブランシェット。『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』とは、生きる喜び、死の悲しみ、そして永遠の愛を知るための、時を超えた壮大な冒険である。
老人赤ちゃんのサイズ問題
80歳で生まれ。
え、どゆこと?……という単純な疑問。
80歳で生まれるというのは、その文字通り、おじいちゃんの状態でこの世に生れ落ちるということなのだろうか。
老化して体が小さくなるのは想像はできるが、170㎝の大人がどんなに小さくなったとて、母親の子宮から出てくるほど小さくなるとは到底思えないではないか。
あまりに有名な大作に対する一番の好奇心はそこだった。ワクワクしながら映画を観始める私。
ベンジャミン産まれる
産まれる赤ん坊。死産だった。母親は亡くなった。
『この子をお願い』
夫は、妻から託された赤ん坊の姿を見ると、すごい形相になった。
乱暴に抱きかかえる(首折れちゃう・・。)と、ダッシュ。ひたすらダッシュ。
高齢者のグループホームの玄関先に赤ん坊を捨てた。
赤ん坊を拾った人物はクイニーは、グループホームで働く女性。
たまたま居合わせた医者に赤ん坊を診察してもらうと、医者によると、白内障で目は見えていない。まるで老人だ、短命だろう。と。
クイニーは、残り短い命の赤ん坊をベンジャミンと名付け、自らが育てる決意をする。
ここからは予告編からもわかるように若返っていく。身体が若返っていくので、どんどん元気になっていく。
で、本記事の冒頭に書いた疑問。どういう状態で生まれて来たんだろう?
そう。ベンジャミン、最初はちゃんと赤ちゃんだったの。赤ちゃんが老化した状態で生まれて来た。くそ。ちょっとがっかりじゃないか。
ちゃんと赤ちゃんで生まれた。んで、赤ちゃんの姿で死んだ。
細かい事をいう様で悪いが、赤子で生まれてしまった時点で、体のサイズは大きくなる。つまり成長するわけだ。
若返るとは全く逆の作用だ。この辺には、若干のがっかりを感じた。
ベンジャミンの苦悩
数年ぶりに故郷に帰ってきたベンジャミン。
変わらない建物に変わらない雰囲気に。でも何かが違う。
『変わったのは僕だった』みたいな感じのシーンがすごく印象に残った。
一見、誰しもが人生の中で一度は感じることがありそうな感覚。しかし、ベンジャミンのそれは、自分が他の人とは違うという自意識の強さが垣間見えた。
デイジーと上手くいってるかのように思えていた日々。妊娠もして、これからの生活は希望の光に満ちている。外から見たら幸せとしか思えない状況だった。しかしベンジャミンはデイジーの元から去った。
理由は、子供には一緒に歳をとる父親が必要とか、身体が子供化することによってデイジーの負担になりたくないとか、そういう理由だった気がする。
あまりに切ない決断に、悲しかった。