
全然うれしくない記念日が制定された
近くのモノが見えづらいという現象が起こっている。
「老眼」という単語にを知識として知っていたし、心当たりはあったが、よもや自分がそうだとは思わなかった。いや、思わないというのはニュアンス的にちょっと違うか。自覚していなかった、の方がしっくりくる言い回しかもしれない。
自分が自身の老眼に気付き始めたのはどうやら3年前のようで、ブログ記事にそんなのを書いてるのを見つけた。あんまり誰の役もに立ってる気がしない当ブログだが、自分の"老いログ"としての機能を果たしていたのが、せめてもの救いなのかもしれない。1ヵ月1000円ちょっとのサーバー代払っててよかったと思えた瞬間である。
あの頃は、メガネをかけていると、スマホの文字がぼやける。厳密にいうと、読めないわけではないのだが、気持ちよく見える距離だと思っていた距離がぼやけるのだ。マンガを読んでる時、文字は読むことが可能だが、絵の細部を見たい距離だと焦点が合わない。こうなると、メガネを外してみる他に手立てがなく、ビミョーにちょこっとだけ不便をする。そんな感じだったはずだ。
今はというと、あまり変化ない。……そう思っていたが、よくよく思い返して比較してみるとそんなことはなかった。メガネをかけたまま活字を読むのがしんどく、外して読むことが増えた。ネットニュースやLINEやXを見るくらいならばメガネのままでイケるが、本を読む時は疲れてしまって読んでいられなくなる。
これは、間違いなく老眼が進行している証拠である。そんなバカな。
こうなると、抗いたくなる性分なので、もっと目を酷使してやろうという、スポコン魂が心を支配する。昭和の悪しき風習の刷り込みである。ノックは1000本やればいいし、給水は体力つけるのに逆効果、うさぎ跳びで基礎体力をつけるぞ的なやつだ。「目が衰えている?そんなの甘えだ、ならばもっと読んでやれ。目の筋肉、目筋を鍛えるのだ。よし、本読むぞ、本。」てなノリだ。さらに酷使した方が強くなる気がするのだがら、本当に困った性分である。
しかし、経験則で、この思考パターン間違っているのも学んだのだ。なにせ、45歳なもので、数々の失敗を乗り越えているのだ。心の中で必死にブレーキをかけて戦っている最中なのだ。
無理はしてはいけない。
知らず知らずに無理が祟って、前歯を折るような事はもう、したくないのである。
さて。老眼対策や、眼球の疲労回復に手を尽くそうとがんばる所存なのだ。その辺の事は、また今度書いてみようと思う。
そんなわけで、ボンヤリと、「そろそろ老眼かなぁ、でもまだ予備軍っしょ」と思っていた認識が、「もう老眼だわ。認めることが第一歩」という認識になった記念として、書いてみた。老眼記念日である。どうしよう、全然嬉しくない。








